浮世絵の基礎知識
浮世絵のコーナーにようこそお越しくださいました。
ここでは浮世絵を理解するために必要なことがらを簡単に紹介していきます。
浮世絵とは?
浮世絵というと美術や日本史の教科書などに出てくるような歌麿や北斎のような作品を
思い浮かべ、あたかも芸術作品であるかのような考えを持っている人が大半だと思いますが
元来、浮世絵とは庶民による、庶民の為のものであり、今で言うならばさしずめポスターや
ブロマイド、絵本、チラシなどといったようなものであり日常生活の消耗品として大量生産
されてきた「商品」であり、見終われば紙くずとして捨てられる運命にありました。とはいえ、
そういった浮世絵の宿命をわかっていながらも、あえて芸術性にこだわったのが歌麿や
北斎を初めとするすぐれた絵師(画工)たちだったのでしょう。
浮世絵の名称の意味は?
そもそも浮世絵の「浮世」という言葉は、現代風・当世風といった意味をもった言葉であり
すなわち浮世絵とは浮世の様を描いた絵、つまり風俗画のことを指すわけなのです。
なお、この浮世絵という名称は後になってから名付けられたものではなく、既に江戸時代
初期の寛永18年(1641)の仮名草子「そぞろ物語」や天和2年(1682)の井原西鶴の
「好色一代男」などに既に見出されています。また、この「浮世絵」という名称以外にも
明和2年(1765)の鈴木春信から始まった多色摺りの浮世絵を、錦(にしき)のように美しい
ということから「錦絵(にしきえ)」と言い、また当時は江戸を意味する東(あづま)という言葉を
つけて「東錦絵(あづまにしきえ)」という言い方もしました。
肉筆浮世絵と浮世絵版画
一般に浮世絵というと、基本的には皆さんが思い浮かべるような北斎や歌麿の作品が
ありますが、あれらは何枚もの版木を使って制作した版画であり、そういった版画とは別に
いわば絵師の直筆の作品である肉筆浮世絵があります。この肉筆浮世絵は、裕福な
階層の人からの依頼および注文によって描かれた一点制作のものであり、当時としても
非常に高価なもので誰でも気軽に買えるようなものではありませんでした。
ちなみに、こういった制作注文品とは別に、書画会などで短時間の間に即席で描いた
「席画」もあります。
なお、この肉筆浮世絵の中には便宜上、画稿(ラフスケッチ)や版下絵(浮世絵版画の原画。
版木に貼って彫られるので最終的には消滅するが、なんらかの事情により出版に至らず残る
場合がある。)も含まれます。
浮世絵版画の制作順序
浮世絵版画の制作は版元(出版社)・絵師(画工)・彫師(版木を彫る)・摺師(版画を摺る)の
四者の共同作業でした。制作順序は以下のとうりです。
@版元が企画を立て、絵師に作画を依頼する。
A絵師は墨一色の線描きにによる版下絵を描き上げる。
B版元は版下絵を絵草子掛の名主(なぬし)に提出し、出版許可印(改印・あらためいん)を
捺してもらった上で彫師に渡す。
C彫師は版下絵を版木に裏返しにして貼り、主版(おもはん)を彫る。(この時点で原画は消滅する。)
D主版を渡された摺師が主版の墨摺(校合摺・きょうごうずり)を十数枚摺り、絵師に渡す。
E絵師は校合摺に対して版木別の色指定をする。
また、この時に着物の模様などの細部を描きこむ場合もある。
F彫師は色指定の指示にしたがって色版を彫る。
G主版および完成した色版で、摺師が絵師の指示どうりに試し摺を作る。
H絵師のOKが出た後、摺師は初摺(しょずり)として200枚を摺る。
(売れ筋狙いの場合は200枚以上の見込み生産をする。)
I絵草子屋より販売する。
浮世絵版画に対する出版規制
当時の幕府は体制保持の為、政治を批判する声を封殺すべく諸々の法令を出していましたが
浮世絵の出版に関しても、その内容については規制を加える法令を出しています。
法令そのものは明歴・寛文の頃(1655〜73)より出されていましたが、享保の頃(1716〜36)には
その内容が整えられました。禁止の内容の主なものは次の通りです。
@幕藩体制を批判する内容を持つもの。
A信長・秀吉政権以降の武家について記す事。
B社会の出来事や流行の報道。
C金をかけた贅沢な印刷。
D春画や枕絵・好色本など風紀上好ましくない内容であること。
これらに違反した絵師や版元には処罰が科せられましたが、有名どころでは歌麿が秀吉の花見姿を
描いたという理由から、手鎖(てぐさり=手錠)50日の刑に処せられています。
また、幕府は寛政2年(1790)に検閲制度である「改印制度」を施行し、出版を町奉行の管理下に
置かせた上で出版物を製版前に版下を提出させ許可印である改印を画中に捺印させるという方法を
とらせました。なお、この制度は明治8年(1875)に新政府によって改正されるまで86年間もの間続きました。
(参考文献「図説・浮世絵入門」
著:稲垣進一発行:河出書房新社 1990)